30年後の日本
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30年後の日本を考えたことがあるだろうか。
元旦早々、細木数子が「このままでは日本が難民になる」と叫んでいた。
確かに大げさだが、強ち嘘とも言い切れない。
これまでにこの場で書いてきた様に、大手企業はコストカットの目的で次々と技術者を切り捨ててきたし、
有能な技術者は自ら海外へ転職もしていった。

加工業を主としてきた日本が加工技術を失ってどうやって仕事をしていけるだろうか?
不況が始まってからの職業は大半が営業を占めている。
理由は簡単だ、営業の方が確率的に儲かるからだ。
オークション的な話をすると、例えば健康食品を海外から千円程度で輸入したとする。
これを例えば3千円で売ったらどうなるだろうか、利益率は2倍だ。
そんな簡単にいく筈が無いと思っている人が多いかもしれないが、これが世の中の現実だ。
ここ最近は健康ブームが続いている、そういった世の中の流れから商品の選択さえ誤る事が無ければ確実に売れる。
ネットワークビジネスと呼ばれる類の商法だが、現実的にはねずみ講の類だ。

売り方は色々あるが、基本とするものは安いものに付加価値をつけて高く売る。
こういったやり方の商法が増えている気がする。
例えば、こういった職業が増えるとどうなるか・・・日本は技術力を失う。
技術力を失えば物の加工生産の質は落ちる、売れなくなる、会社が倒産する。
現実的にはこう簡単に最悪のシナリオを進む事は無いが、人材のコストカットは企業の首を自ら絞める結果となるだろう。
実際、企業で教育をしない企業は技術力を維持することは出来ない。
企業が成り立つ理由は、その会社にしかない技術力を持っているからこそ企業として成り立つ。
そんな企業の独自技術が会社に入って教育無しにホイホイとスーパーマンの様に出来る訳がない。
仮に出来たとしても、そういった人は少ない。

私はこういった社会情勢の中で、今後の日本は加工から創造というスタイルへの転機の時期でもあると考えている。
例えば、今までは現存するものを加工してより良いものを作ってきたが、全く新しいものを発想して作る。
こういったスタイルへ変化していくのではないかと思う。
発想と構築だけ日本でやって、実働は中国などで生産する、つまり今のアメリカに近い方向性だ。
但し、こういった発想というものは常に浮かぶものでもなく、リスクも大きい。
現実問題としてマイクロソフト社はここ数年、OSの販売実績が伸び悩み、赤字が続いている。
この原因のひとつにはWindows XPがWindows2000からバージョンアップするメリットが見えないからだ。
そして、次期OSのVISTAもWindows XPから変更された部分が見当たらない、質も低下する。
寧ろ新しくする方のリスクが大きい。
こうした状況は、日本でも今後において起こりうると考える。

最近、景気が上がったという報道がちらほら出ているが、それは一時的なものに過ぎない。
また、日本の農業が衰退していく事には懸念がある。
自立した食の生産を無くして、どうやって国を支えられるだろうか?
もし、仮に食の輸入がストップした時に日本で生産できる野菜や肉の量は限られている、明らかに不足だ。
過疎化した町や村も有効に使えば人は戻る、過疎化する理由は仕事が無かったり住みにくいから人が
出て行くのであって、そういった改善を無くして都市集中型の社会を分散する事は出来ない。
今の日本経済は殆ど、東京ありきになっている。東京の都市が吹っ飛べば日本経済は確実に麻痺する。
一時的にこういった事を避ける為に分散的な国家を作る事が目標になっていたが、現実問題としては
何も進んでいない気がするし、逆にコストカット的な考えから集中型を加速している様な気さえする。

また、教育の部分で言えば国家の教育方針は間違っている。
そして子を持つ親も変わるべきであると考える。
例えば、愛国心といったものは必要なのだろうか、私は国家の示す愛国心的な指針は
大日本帝国の指針を感じさせる軍国的な考え方が強い様に感じる。
最も、そうやって法律を動かした人物が森元総理を初めとする軍国主義思想を持つ政治家なのだから仕方がない。
私は国家を歌う事を義務化したり、徴兵制的な考え方で教育する事は間違っていると考える。
これは軍国的な方向に向かう一番危険な方向であって、しかも日本の情勢は正に戦争を始めても
おかしくない状態にあると考える。
戦争を知らない子供達、そして大日本帝国を信じて来た政治家、そしてバブルの波に乗って生きてきた親達。
こういった状況は、戦争というものが何であるかを知らない。
最近、若者の起こす事件が多いが、この発端となるものは親が教育しない、そして学校でも教育しない。
そういった環境でまともな人間が育つ訳がない。
確かに教師の体罰的な問題は昔にあったが、今の学校教育は異常だ、叱るべき所で叱れば首になる。
短絡的に軍事教育をする方針を出しているが、もっとその前に親を教育するものが無ければならない。
そして、教師が教師としてやらなければならない事に制約を課してはならない。

2006年は色々な意味で根本的な問題を整理すべき年の始まりなのかもしれない。




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