学歴社会は必要か?
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 お受験と称して英才教育を行なう行為が増えている現在、本当に学歴というものは必要なのだろうか。
私は個人的に学歴は必要と考えていない、寧ろ先々において重要視はされなくなると考える。
資格を取っても実務としての実力があるか無いかの差と同じだ。
だからと言って勉学不要論や学歴不要論を唱えている訳ではない。
そもそも、勉学の意義というものを見直すべきではないのかという事だ。

しかし、現実問題として目に見える形の実績や経歴は資格や学歴でしかない。
幾ら何処の企業で実績を上げたなどと話しても、世に名を出せる程でない限りは実績として認められない。
故に企業は1分程度しか見ない経歴書で判断をする形を取りざるを得ないのだ。
面接経験の豊富な人間は5分あれば大凡の人材を把握出来ると言われる、
確かに私自身も多くの企業を訪問してその感覚は掴めて来たが、たかが5分程度で完璧に知る事は不可能だ。
バブル時代に学歴社会が根付いたまま、株式上場の面や営業の方面で方向転換が出来ないのが今の現実なのかもしれない。

恥ずかしい話、私は幼少の頃から勉学というものに嫌悪を持ち、今でも劣等生を引きずっている。
よくよく考えて見ると、勉学に対する興味意識の取っ掛かりや勉学の意義が掴めなかった様に感じる。
例えば、屁理屈かもしれないが歴史や漢字や古文、更には理解もしていない公式を丸暗記して解くという行為に
意味があるのかという話である。
今日の義務教育で学習を行なう内容は「理解、意義」ではなく「効率」だ。
レトルト食品の様なもので、何がどうしたから結果はこうであるという論議を飛び越して即席の結果が出ているのだ。
少なくとも今、三割の小学生は天動説を唱える、数学の学力低下などの事態が起きている。
これはそもそも、親のエゴから来る教育姿勢や国の定めるカリキュラムに問題がある様に私は感じる。

アメリカ、韓国、日本などを見てみると、やはり日本よりもかなり前にアメリカも同じ問題を抱えて来た部分がある。
学歴社会を押し進めた結果、詰め込みの教育が主流となったからだ。
もう一つは、勉強の出来ない子供を持つ親は育児ストレスから、思い通りにいかないという不満を暴力や罵倒で子供に返す。
その結果、子供は勉学に対しての興味などが喪失して悪循環に陥るのだ。
(日本社会が今まで、二世帯で祖父母と暮らして来た生活スタイルの変化から来るしわ寄せなのかもしれない。)
或いは、塾や家庭でマンネリ化した勉学に対しての興味喪失を表す象徴なのかもしれない。
その結果が教育の現場で授業に集中出来ない、全体的な学力低下を招いている気がする。
もう一つは出来たら楽しいという達成感が少ないのかもしれない、例えば点数を取っても
他人よりも上でなければ親から褒められる事はまず無いだろう。
親の立場からすると、有名大学に行けば有名企業に入って安泰という考えが未だに定着している。
そういった固定概念が英国数理社だけ出来れば他の成績は不要とする考えが強く残っている様に思える。
本来、勉学というのは一定の知識を詰め込むのではなく、あらゆる事を学んで考える事に意義があるように私は考える。
この考えるという部分が最近の教育には欠けている様な気がするのは私だけだろうか。
理解を深めるには物事を考えるという行為は極めて重要である。
極端になるが過去、看護婦が栄養剤の代用として牛乳を点滴して患者を死亡させた話と同じ様なものだ。

私は今の教育姿勢やカリキュラムは問題であり、非常に危険を感じている。
言及すると、有名大学を出た人間である程、人生の目標設定が白紙状態になっている人が多い。
これは勉強漬けになった余りに、目標とした事が不明確なまま入学し、
なんとなく卒業して将来が見えていないという部分が見え隠れしている様に感じる。
同時に、今の20代が持つ考え方で自らのやりたい事に打ち込むという姿勢には好感が持てる。
これは世の中がバブル崩壊しても、生死に至るまでの極限的な状況下が無いという象徴的な現れでもあるかもしれない。
人生に目的を持って生きていくのと、目的が不明確のまま生きるだけの為に働くのでは物事の考え方や意識が違う。
最近、NEETという言葉が生まれた背景に、活字離れ、内容の無い映画やゲームの人気、などにも影響した象徴的な現象の様に思える。
これは何も考えず、何も行動せずにダラダラとするのが一番、楽だからだ。
この状況を生み出した一つの背景に、苦境の無い不況が少なからず関係しているのかもしれない。

これから先、企業が積極的に行なわなければならないのは人材の教育だ。
少なくとも、不況という名目で派遣ばかりに頼った会社には技術を継ぐ後継者がいない。
企業の姿勢として努力していかなければならないのは、経歴で見るのではなく実際に実務を経験させていく事だ。
雇用の形態はわざわざいきなり正社員雇用をさせなくとも、バイトや契約社員、受託契約、幾らでも存在する。
その課程で使える人材と判断出来れば正社員として雇用すべきだし、必要が無いと判断すれば契約打ち切りにするも良い。
もう一つは、企業が生き残る為には高齢者でも新しい道を見つけられる場を提供していくべきだ。
30代から60代までの労働求人者は殆どの場合、年齢制限によって再就職がほぼ皆無の状態だ。
本当に企業組織としてメリットを考えるのなら、実力主義で雇用の制約に年齢制限を崩すべきだ。
有名な話に、セブンイレブンが発足した当初、集まった人材は20代後半から40代でコンビニとは関係の無い素人の集団だった。
それが今では全国に店舗を展開出来る様になったのは、違う職種に就いていても仕事の出来る能力があったからだ。
実際、私が勤めるソフト開発業界でも年齢の壁は大きい、27にもなればシステムエンジニアというかなり、
高い技術力を持っていなければ仕事が来ないのが現実だ。
しかし、実際には年齢は関係なく、素養さえあればやる気次第でどうにでもなる。
つまり医療系やジャニーズや創作活動を除き、素養とプロ意識さえあれば大抵、出来ない仕事は無いのだ。
又、大学の場合は教授のスキルが余りに過去の遺産を引きずっている場合が多い。
化石の様な話を講義されても実際の企業に就職した時に、その勉強したものは全くと言って良い程役に立たない。
只、私が大学に進学して良いと感じた事は一人で勉強するのではなく、友人と全員で考えて勉強をする姿勢を得られた事だ。
大学と企業が積極的に手を結んでギャップを埋め、開発研究などを進めて欲しいと願う。
それが企業としてもコストカットに繋がり、人材の育成にも繋がるからだ。




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